去り行くものへのレクイエム
着物と電報
なにぶん京都ゆえ着物とは縁が深かった
80年代に就職して所属した"考案課"は京都・東京に30名ほどで
デザイン室の古い呼び名で一世を風靡したアートディレクター・デザイナーの部署
顧客の半分は呉服関係で
週に二回はスタジオやロケで受け持ちの撮影をディレクション
他はひたすらカンプをつくり打合せをしてデザインして制作していた
顧客のかわりに着物柄をみて適切な小物を組み合わせモデルやポージングを決める日々
入社2年目でふつーにアートディレクターだった
こどもの頃の祖母の葬式には
叔父が呉服屋だったのでキモノ撮影でお世話になった銀幕の女優さんたちから弔電がとどき
華やかな名前が延々読み上げられて町内が大いに盛り上がったのを覚えている
着物も電報もその頃までがピーク
二兆円市場といわれた呉服業界は現在六分の一になり
別の統計ではわずか2%だともいわれている
当時のお客様は大半が廃業倒産している
デザインコンペや企画入札が90年代から増えて
ピーク時で年間競合100案件をこなした
多業種のお客様や企画室とお付き合いすることで分野ごとの制作の知識が増えて
紙や印刷だけでなく様々な素材の製品製造をくりかえし
ひとり商事会社のように依頼に対応できるようになった
このころ着物関係の仕事をすべて同僚に引き継ぎした
考案課が"企画センター"をへて"クリエイティブセンター"にかわったころ
社内でワタシの企画室を別につくっていただき
東京初台と大阪西天満での企画入札"電報台紙"のプレゼンと制作がはじまる
キャラクター電報・デザイナーズ電報など郵政の従来の法の壁をすりぬける+α企画で
あたらしい展開となり電報取扱量の減少を数年抑え込むことができたが
2000年代にNTTの独占が緩和され完全に減少する
和菓子や洋菓子など今も完全体のお客様も多いのですが
なくなる業種もある
そういうもの
20年下40年下の後輩たちもたぶん同じような経験をする
なくなるものほどイイ思い出です