海一列目のAtelier日記 by Ikeda Art Planet

京都のプロダクトデザイン事務所「イケダアートプラネット」1999年 四条烏丸。2011年 平安神宮横の「町家Atelier」をへて2023年11月 京都府久美浜町「海のAtelier」に移転。このHPは当社の本業とは別〈海辺に家を建てて移住しちゃった京都人の日記〉波打ち際のアトリエからこっそり更新中。

ちょうど2年がたちました。

 

 

あさ救急車で搬送。人生の分岐点。

ようやく過去になったので振り返ります。

 

 

 

病室の写真は入院の翌日。目が回り続けて倒れたまま。

やっと手だけが動きピースサインを撮影してメール送信したところ。

鉄のように手が重かった。

写真の朝の景色は退院する日。搬送の九日後。

入院三日目にベッド横のトイレまで器具歩行できるようになり

四日目にベッドに腰掛け少しだけ食べれるように。

五日目にはじめてコーヒーを口に含みました。

退院までけっこうかかりましたが自宅療養がもっと長かった。

カラダの制御を失ったので30秒の片足立ちは半年かかった。

通常散歩と自転車は3ヶ月後から。

なぜかクルマは2ヶ月後。

多少平衡感覚が壊れていてもクルマの操縦と安全確認は出来るんですね。

なんで老人が免許返納しないのかよーくわかりました。

リハビリは今でも続けています。

 

 

壊れたほうの三半規管はいまだポンコツ

他人のカラダを操縦している感覚。

カラダを起こして横を向いてカップをつかんで口に運んでコーヒーを飲む。

ロボットみたい。慣れましたがムダに疲れます。

片耳の聴力がほぼ消えたのですが

正常な耳に悪さするので雑音のあるところでは女性の声の音域は聞き取れません。

これも慣れの問題。笑顔で補完。ぜんぜんOK。

眼振はなおらず。朝夕はめまい。たぶん今でもカヌーは乗れない。スポーツはムリ。

スキーもムリかな。でもそんなぐらい。

周りの人は気がついてないはず。こーいうひとって多いらしい。

 

 

 

ツマは梅雨がくるたびにあの日のことを思い出すそーです。

ほんと申し訳ない。感謝してます。

これが二年目の今の状態。

ほんと感謝です。